タンゴは競うものなのか?
東京のミロンガに時々顔を出したり、東京のタンゴの先生のウェブサイトとかを見て最近気づいたことなのだが、東京の(日本の?アジアの?)タンゴ界では、競争にこだわっているような印象を受けた。先生方のウェブサイトを見ると、たいてい、どこそこのコンクールの何とか部門で優勝しただの、決勝戦まで残っただのと書いてある。また、何かのコンクールの直後のミロンガに行くと、そこを主催するダンススクールの先生が、今年のコンクールの何とか部門で何位でしたー、と報告をする。はたまた、タンゴ初めてまだ1年とか2年のカップルが、東京で行われるコンクールに出場することにして、それを目標に頑張ったりする。
何かの目標をもって上達することはいいことかもしれないが、うーんしかしタンゴで競争をするということに、オレにはちょっとしっくりしないものを覚える。それは、タンゴ的でないように思える。
オレにとって、タンゴは、ごく私的なものだ。人によって異なるものだ。年を重ねるに連れ、「私のタンゴ」のスタイルができてくる。大げさにいえば、それはその人の人生の集約である。私の人生があって、あなたの人生があって、それぞれに価値があるように、タンゴは別に他の人と競争するような種類のものではないような気がする。そもそもスタイルが違うんだから、比べようがないではないか。あるのは、好みに過ぎない。まあ、もてる人ともてない人がいるみたいに、多くの人から支持されるスタイルとか、ごく少数の人し合わないスタイルとかあるだろう。でも点をつけて比べるような性質のものではないと思う。
オレがタンゴで一番重要と思うのは、どう見えるか、ではなく、どう感じるかだ。つまり、踊っていてお互いにいかに気持ちいいか。音楽と相手と自分とがいかにひとつになるか。そんなの、外からは見えないこと。だから点数化できない。点数になるのは、外から見ていかに格好がよいか、きれいか、揃っているか、曲とあっているか、とかそんなところだ。肝心のところが点数化できない。
サンフランシスコのタンゴの先生達のウェブサイト(リスト)を見てもらうとわかるが、コンクールで第何位なんてことが書いてある人は少ない。ミロンガでコンクールへの出場者の壮行会もなければ、凱旋報告もない。ブエノスアイレスへは、楽しみに行くのであって、競争しに行くわけではない。サンフランシスコのミロンガで、コンクールの話が話題になったこともない。こういう意味では、オレには、サンフランシスコのタンゴ界の方が、思想的には合っていると思う。
この記事は、タンゴが好き!に寄稿した記事から抜粋、編集したものです。
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